260606
家族みなで祖母の誕生日を祝った(祖母の誕生日はは5月末なのだが、みなが集まれる日を優先して6月のお祝いとなった。)今年96歳の祖母は話しはじめると矍鑠としているが、それでもやはり体のあらゆる機能はすっかり弱くなってしまっていて、会話をすることはやや難しい。写真を生業としている人間として家族行事があると必ずカメラを持ち出すのだが、その時に必ず思うのが「自分の人生には撮れなかった瞬間の方が多い」ということだ。
大好きだった祖父は、自分がカメラを手にするよりずっと昔に亡くなってしまった。そして同じように愛情を注いでくれた祖母も、自分が仕事に打ち込んでいる間にすっかり老いてしまった。せめて二人の記念写真を自分こそが撮ってあげたかった。あるいは祖母と母の何気ない日常を、自分こそが残してあげたかった。もう叶わないことをずっと考え続けている。
写真が好きではないという人が世の中にはたくさんいる。自分もそのなかの一人である。自分は好き勝手にカメラを向けるくせにいざ撮られるとなるとどうしていいかわからなくなって、見返すと大抵の場合ひどい顔で写っている。けれど、写真の価値というのは随分あとになってからわかるものだから。自分こそがそれを残した者でありたいと思うのかもしれない。
シャッターチャンスという言葉には常々疑問を抱いている。いつシャッターを切るのか決めているのはいつも自分で、つまりそれは自分がその一瞬に「シャッターを切るだけの価値」を感じられるのかどうか、を試されていると思うからだ。そしてそれならばやはり、自分はチャンスを逃し続けているのだと思う。