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260613

 寄席へ。GWに繁昌亭で聴いた桂米團治がとても良かったので今日も楽しみにしていた。しかし柔和な雰囲気の桂米團治が高座に上がって口を開くやいなや「皇室典範改正に意見したポストが炎上している*」という話をしはじめ、一気に変わる観客の空気。まだまだ初心者ゆえ所謂時事ネタが盛り込まれたまくらを聴くのは初めてのことで、さらに話題が話題だけに話がどう運ぶのか不安で身構えたのだが、緊張から一転大笑いを引き出す話芸は巧みと言うよりほかなかった。まくらはそこから落語は世襲ではないという話につながり、そこから歌舞伎、さらには松竹座の経営と取り壊しの話につながり、では歌舞伎の噺をやりましょう、とかかったのは『質屋芝居』。鳴り物もあって派手な噺は上方落語独特の芸なのだそうだ。前回聴いたのは『はてなの茶碗』で、これは愛嬌のある商人から京都の豪商、果ては帝まで様々な身分の人が登場する噺で、その演じ分けが気持ちよく楽しく感じたのだったが、今日はまたさらに幅の広い演じ分けに圧倒され、またひとつ上方落語のおもしろさに近づけたような気にさせてもらった。

 「落語にはいろんな"アホ"が出てまいります」と噺家さんたちがよく言うのであえてここでもその言葉を用いて話したいのだが、けれども落語のふしぎなところは、そうしたアホたちがむしろ愛おしくおもしろいことだ。非常に個人的な感想で、これを読んでいる方には飛躍した話に聞こえるかもしれないのだが、セサミストリートを観ているときの感覚に近い。時事ネタに切り込む風刺的な側面もそうだが、コンプライアンスの観点から見直されている古典も多くあるというし*、観客の温度を測りながら話をする、かつ古典芸能の矜持を持つ落語ならではのバランス感を心地よく感じているのかもしれないと改めて腑に落ちた日だった。

*1 該当のポストに関しては後から確認して、少なくとも「人権侵害」というところに声を上げている点にほっとしたのだった。様々なレイヤーがある話題で、正直にいって自分の考えが不足しているところも否めないし、すべての点で同意するわけでもない(まくらで補足された前提情報もあり、たった一つのポストで何もかもを推測することは憚られる)が、完全に相反する立場でもないと判断した。

*2 とはいえ噺家本人の素行については思うところある、という場合も、自分の価値観とは合わなかったなあと感じる場合もままある。芸は楽しんでも手放しですべてを肯定する気はない。人間の複雑。