260815
8月15日。
今年の6月に広島の書店を訪れた時に手にした本を、今日読むことにしていた。タイトルの通り、2024年8月15日の日記71篇と1945年8月15日の日記25篇(それから2024年8月16日の日記が1篇)が収められているもので、冒頭は戦争経験者の方へのインタビューから始まる。
今日はそれを受け取った上で自分自身の日記を書こうかと思ったのだが、正直なところ気が乗らない。時の流れは地続きであって、私たちはいま(タモリが言うところの)新しい戦前を生きているわけだ。日常を尊ぶというただそれだけでは止まらない流れの中にすでにありながら、それでもそこに留まり続けることは、果たして平和という目的に寄与する行為なのだろうか。2024年からたった2年、それでも(寄稿された日記に対して)うっすらと覚える違和感に、そして1945年の日記の生々しさに、そんなことを考えずにはいられないのだった。
そうは言っても日常は日常としてある。それを糾弾したいわけではない。この日記は自分の心のための栞のようなものだ。こうした話に付き合ってくれる人たちの幸せも、つい憚ってしまう人たちの幸せも、私の願う平和の中にはもれなく含まれているのだ。