260816
突然だが、私はなにわの街に生まれなにわの街で暮らしてきた。この歳になるまで特に意識したことはなかったのだが、映画『国宝』をきっかけに、最近はよくそれについて考えている。あの映画について何がそこまで気になったのかと言うと、上方の芸能をモデルに描いている作品であるにも関わらず、「上方のにおい」のようなものがほとんどしなかったことだ。
まあまず江戸の役者さんを連れてきたならばそりゃ少なからず江戸のにおいになってしまいますよ、というのは置いておいて、そもそも日本の娯楽や芸能はもうずいぶん前からひとところに集約されつつあり、単に関西弁がうまいだとかへただとか、見目姿の雰囲気がどうだとかそういう次元の話でもなく、上方という空気そのものがいかに薄れているのかというのをまざまざと感じさせられたのだった。(渡辺謙が着用していたお着物がちりめんだったりと、風俗の演出は十分に見られるにも関わらず、だ。)
と、ここまで書いておいて、ではその空気とはどういうものなのか?ということを説明するのはとても難しい。(町人文化と言えばなんとなく想像はつくのかもしれないが、それは抽出された一部のイメージでしかない。)大正から、だいたい昭和30年代うまれくらいまでの人たちが作っていた空気、というのが私の個人的な見解だが、今の大阪にはその空気はほとんど見られない。『国宝』の芝居小屋のモデルは浪花座だそうだが、そもそも道頓堀が芝居の街として栄えていた頃の五座はすべて閉館し、その跡を継ぐ松竹座もすでに閉館、取り壊しが決まっている。芝居に関して言えば街、劇場、観客の文脈すべてで衰退していると言えるだろう。こうした文化の弱体化がもうずっと前から始まっていて、いまさらそれを表現しようとどれだけ頑張っても、再構成されたものにしかならない、というような感じもする。それに根っこをたどれば、私が上方の空気だと感じていたそれも、戦前の「大大阪」の再構成でしかないのかもしれない。
大阪の文化は間違いなく貧しくなっている。それも加速度的に。愛しく感じていた場所や価値観にも新自由主義の流れが押し寄せているし、風俗も方言もどんどん標準的なものに変わりつつあって、このままゆるやかに死にゆく「地方」なのかもしれないとすら思う。
大阪には巨大な被差別部落もあり、在日コリアンの街もあり、戦前から沖縄出身者が集まってつくられた地域があり、そして釜ヶ崎という場所がある。現役の遊郭すらある。そのどれにも「日本最大の」という修飾語が付く。東京に比べたらニューカマーの外国人は少ないけれど、戦前から戦後にかけての日本の「社会問題」がすべて揃っているような街である。だから私たちはつい、ここはいろんな人びとを受け入れる、懐の深い、多様性を大事にする街だと思い込んでしまう。 岸政彦・柴崎友香. 大阪(河出書房) (p.124)
大阪をすばらしいところだと主張したいのかと聞かれるとそうでもない。この街を「人情」や「サービス精神」みたいな言葉だけで形容する人とは仲良くなれないような気がする。だがその土地で生まれ育った人間として、その複雑さを愛憎を持って眺めずにはいられないのだ。
今の大阪には良いところがほとんど無い気がする。東京へ出ていった友人たちはまあもう帰ってこないだろうし、ただの観光ひとつでも、東京に住んでいる人たちはめったに大阪にはやって来ない。こう書くと少し攻撃的な言葉に見えてしまうのが悩ましいが、そりゃそうだろうとさえ思っているのだ。たこ焼きもお好み焼きもおいしいお店を知らないので、求められると困ってしまうし(なぜなら家で作るものだから。)歴史的建造物を見たければ奈良や京都へ行く方がずっと満足してもらえるだろうし、芸術関連の施設なんかは東京に比べれば数で足元にも及ばない(もちろん素晴らしい施設はあるけれど、それはそれとして。)大阪という場所にノスタルジーを抱いている私は街並みやその場所の歴史を知り語ることにおもしろみを感じるが、そうした場所もいまでは淘汰されどこにでもあるような商業施設ばかりが増えていく。大阪をプレゼンするほうが難しい。「強いて言うなら私がおりますが……」と面目なさげに申し出るくらいしか。
今この街の何を愛しているのだろう。これまでこの街の何を愛してきたのだろう。そういうことがどんどんわからなくなってくる。ニュース見出しの「三度目の正直」という文字を見ながら、ため息をつくばかりの日。