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260817

 米津玄師の『夜鷹』を聴いた。どうやら映画版『キングダム』の主題歌らしい。という薄い情報量からもわかるように、米津玄師のことは薄目で盗み見ている程度の距離感なのだが、この人の作る音楽というのは本当にまるで文学だなあと思わされる(ついこの間は『IRIS OUT』の歌詞の言葉選びの美的感覚に歯ぎしりするほど嫉妬し、その前は『さよーならまたいつか!』を何度も聴き返して『虎に翼』に思いを馳せていた。実はかなり好きなのかも)

 よだかから連想されるコンセプトにどうしても惹かれてしまう。それがこの曲に目が止まった理由のひとつでもあるのだが、その鳥の名前を聞けばたいていの人は宮沢賢治の『よだかの星』を思い浮かべるのではないだろうか。私もその一人である。歌詞を読んだあと、もちろんリファレンスにしているのでしょうとインタビューを探してみたら、しっかり氏も言及していてたいへん満足した。

 私が「よだか」と聞いて連想するコンセプトというのは「修羅」である。賢治が熱心な法華経信者であり、そうした思想のもとに多くの詩や物語を書いていること、そしてこの物語の中でよだかが賢治の自己像を反映している存在であるというのはこれまでにも指摘されてきていることだが、『春と修羅』にもあらわれているような自己嫌悪・孤独・苦悩を『よだかの星』にも見ることができる。よだかにとっての修羅界からの離脱あるいは救済が死であることに関しては批判もあり、私自身なるべく綺麗な言葉で修飾するべきではないと思うのだが、それでも物語の結末で強く燃える青い光があまりにかなしく感じた心の経験までは否定できない。この「かなし」くにあえて漢字をあてるならば、それは「愛し」あるいは「美し」なのかもしれないのだ。 

 で、何が言いたいかというところで、冒頭の「米津玄師の音楽はまるで文学」に話を戻す。この曲そのものはキングダムへのあて書きに違いないのだが、なにか強い情緒を呼び覚ますようなコンセプトを別の文脈から持ってきて、どれもがうまく収まるように編み上げてしまう胆力というのが本当に稀有なものだなあと思ったのだった。音楽理論などはからきしなので歌詞の話に終止してしまうが、文字やリズムが制限されるはずの歌詞も、詩というよりはずっと物語のようだし。そろそろ米津玄師が気になる存在だということを認めなくてはいけないのかもしれないが、やはりまだ心には距離があるので、ムムム!という心象だけを今日ここに記しておく。

260819追記:もっと言えば、『海獣の子供』を観たあとはしばらく『海の幽霊』しか、それから『シン・ウルトラマン』のあとは『M八七』しか聴きたくなかった。すごいパワーだ……