260818
人生で二つ目の仕事を辞めたときだったか、母から「詩人になったらいいんじゃない」と言われたことがある。詩の才の無い私にとっては笑い話なのだが母は母なりに何か思うところがあるようで、いまだに、小学生のころ ――葉牡丹は 冬にいきいき しているよ―― という俳句を詠んだことなどを「個性的な子どもだったから」と話のネタにされる。至極あたりまえの、覚えたばかりのことを七五調でしゃべっただけで、もっと言えば「葉牡丹」を言いたかっただけのような記憶もあるのだが、ふしぎと恥ずかしさはない。大人たちがやけにそれを褒めそやしてくれたような思い出があるからなのだろう。
一篇をまるまる引用したいくらいに大切にしている言葉があり、折に触れて何度も読み返している一冊だ。今日改めて通読したところ著者の奈倉有里が幼い頃に書いた詩の話があって、ふと母のひと言を思い出したのだった。
ここ数日の日記からもわかるように、考えや言葉が自分の中から絶えずあふれでてくる時があって、それこそ子どもの頃なら自由帳を文字で埋め尽くしたりしたものだが(そして母はそれを見て個性的な子どもだと感じたようだ)今もやっていることはほとんど変わらないなあと思う。ただ、インターネットではどうしても読まれることを意識してしまい、少し自意識が強すぎるのではないか?と自分を恥じたりもして。けれど今こそ、「葉牡丹」を言いたい!くらいの軽い気持ちで書き連ねることが大事なのかもしれない。三島由紀夫だって日記に「尾籠な話で恐縮だが」だか何だか"読まれる前提"で書いていたのだから、私もそれに倣おうと思う。恐縮ですが。